小学生野球の厳しいスパルタ練習とその後の自分の人生を振り返る

みなさん、お元気ですか?

タカミンです。今回はタイムスリップして、私の小学3年生の頃に戻ってみたいと思います。

場所は、藤沢市鵠沼海岸地区にあるリトルリーグ専用グラウンド、ある方から紹介されて入った藤沢リトルリーグ
ここでの衝撃的な出会いが私の人生に大きな影響を与えました。
その頃、毎週野球の練習の日曜日が近付くにつれ、子供心ながら、段々と憂鬱になっていく自分がいたことを今でも鮮明に覚えています。
それだけ地獄の練習であったという記憶が染み付いています。
それがその後の私自身の野球人生を形成したと言っても過言ではない程の強烈な練習でした。
現代ではあり得ない、スパルタ練習、と言うより、本気でゲンコツで殴られる、足で蹴飛ばされる、「もうお前はいらないから帰れ」と罵倒される。
パワハラオンパレードの世界でした。

今となっては何故か懐かしく感じられます。
あの経験があったからこそ、その後、少しのことでは何ら動じることがなくなった、真の度胸が座った事実があることもお伝えしておかなければなりません。
今の時代、あまりにも敏感過ぎて、指導者が生徒に手を少し出しただけで、すぐに暴力沙汰だと報道される風潮があることに個人的には違和感を感じます。
勿論、暴力を認めるわけではありません
でも、スポーツの指導の過程の中で、本当の厳しさを体に染み込ませる意味では、時として、指導者による愛の鞭は必要であるとの持論があります。

結果的に、野球の基本中の基本を身につけたのは、紛れもなく藤沢リトルリーグでのスパルタ練習を受けた結果でした。
フォーメーションプレーの練習があるのですが、プロ顔負けの整然とした緊張感のある練習で、試合と同じプレッシャーの中での練習を体験できました。
鬼軍曹と言われた当時27歳の監督の存在があるからです。

その方がグラウンドに現れるだけで、一瞬にして練習の雰囲気が様変わり、ピーンと張りつめた空気が流れます。

本当にその野球大好きな監督が、真剣に怒る姿は、恐怖心を飛び越えて、何か神秘的なものさえ感じる瞬間がありました。

結局、私は投手としての才能(スピードボールを投げる才能)はその監督にある程度、認められていましたが、打撃面については、いつも厳しい指導を受けることが多く、自分の練習不足(素振りの回数不足)を痛感する毎週でした。

3年後、小学6年生の夏に藤沢リトルリーグのAチームとして、米国・カナダへの親善野球旅行への選抜メンバーに選ばれました!

生まれて初めて飛行機に乗って、日本(成田空港)を離れて海外を見れるという非常に貴重な経験をさせてもらいました。
その親善野球旅行の行程で、最後にロサンゼルスにある当時の夢の国と言われた「ディズニーランド」に遊びに行けたことは、本当に宝物のような思い出になりました。
滞在期間中は二晩程、日本語の通じない海外の家庭にホームステイさせて頂いた経験も、物凄く大きな経験になりました。

そして、何よりも、藤沢リトルリーグの引退式典直前の試合の場で、私がホームランを放った後に、あの鬼軍曹から一言

髙見、ナイスバッティング

と声を掛けられた瞬間、何故か自然と涙がポロポロ流れ落ちて、少し肩の荷が降り、充実感と安堵感のようなものを感じたのをよく覚えています。
その後、中学・高校と野球を継続していきますが、自分の野球人生の原点は鬼軍曹のスパルタ練習にあると、今でも実感しています。
一時は本当に、藤沢リトルリーグを途中で辞めようと思った瞬間もありましたが、最後まで継続してやり切って良かったと、今では心の奥底から思っています。

その後、大きくなってからも、藤沢リトルリーグのグラウンドの側を通る度に、自分の体に緊張感が過ることを今でも強く覚えています。
自分の野球人生の原点は、あの藤沢リトルリーグのグラウンドにあると、今でも確信しています。

またあの場所をいつか訪れてみようと思い始めました。

今では懐かしい思い出深き場所です。

Rユニコーンインターナショナル 髙見 広行

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