「プロレス」の醍醐味について大いに語る!

みなさんお元気ですか?今回は、何とプロレスについて、熱く語りたいと思います。
オイオイ、毎回テーマがあっちこっちに行って、照準が定まっていないのでは?とクレームするあなた、ご忠告ありがとうございます。
でも、ここは個人ブログコーナー、毎回勝手に投稿者がテーマを自由に選ばせて頂く権利があるんですよ。ご容赦の程を。

そうなんです、私は小学生の頃より大のプロレスファンで、毎週ゴールデンタイムでの実況生中継のテレビの放送を楽しみにしていました。
当時、日本のプロレス界の人気を二分していた、ジャイアント馬場の全日か、アントニオ猪木の新日か、と言えば、断然後者の新日本プロレスのファンでした。
やっぱり、あのカリスマ的存在アントニオ猪木は、今もご存命ですが、現役時代のプロレスラーとしてのパフォーマンスと言ったら、比類なき能力とレスラーとしての感覚を持ち備えたスーパースターであったと思います。

プロレスはそもそも八百長だろう、なんでそんなものに熱くなれるの?」と随分昔から多くの人から指摘され、揶揄されてきたという長い歴史があります。
だからこそ、テレビのスポーツ番組では一切取り上げられてこなかったという事実もあります。
スポーツ新聞でも東スポなどごく一部の新聞紙上を賑わしていただけです。プロレスは昔の競馬同様、市民権を得られていなかったのです。

でも、私は逆に問い返したいと思います。

では、最初から結論が見えている水戸黄門を代表格とする人気時代劇を毎週欠かさず見たり、あらすじが全て最初から分かっているオペラや歌舞伎等に何故あれ程熱狂されるんですか?」と。

プロレスとは、あらすじのある格闘技だと思っています。
そしてそのリングに登場するプロレスラーはある意味役者と一緒なんです。

アントニオ猪木のことを、これまで自分が見てきた中で最高のプロレスラーと称える意味は、会場に見に来ている観衆やテレビの前の視聴者の立場を十分に理解した上で、如何に自分のファンを熱狂させ、満足させられるかを、常に第一に考えてプロレスというパフォーマンスを体を張って、演じ切ることができるからです。

本気で演じ切っているところにプロレスラーとしての凄みがあります。
本気で相手を倒したいだけなら、単なる殺し屋に成り下がってしまいます。

アントニオ猪木や藤波辰爾などのスターレスラー達が、海外のプロレスの殿堂である、ニューヨークマンハッタンのマジソンスクエアガーデンに登場し、海外の本場のレスラーと闘っている姿は、少年時代の私には夢の出来事のように感じました。

現にそれがきっかけで「私は大人になったら絶対にマジソンスクエアガーデンに行き、アメリカのプロレスを生観戦する」ことを固く誓ったのでした(それは見事に実現しました)。

その後、私の心を虜にしたのが、当時革命戦士と言われた「長州力」というレスラーでした。
ライバル藤波辰爾との「名勝負数え歌」はプロレスファンの間では特に有名な語り草になっている程、日本人レスラー同士の熱い闘いが繰り広げられていました。長州力のサソリ固めや、角度のあるバックドロップリキラリアットには当時興奮しました。
その長州力率いるジャパンプロレスが、新日本プロレスを離脱し、他団体の全日本プロレスに乗り込み、馬場・猪木のイデオロギー代理抗争を勃発させ、今は亡きジャンポ鶴田や、天龍源一郎と名勝負を繰り広げたのはご承知の通りです。

その長州力も先般、正式にプロレスラーを引退し、現在では完全に芸能人的な活動を楽しそうにやっているのを見て、この男、完全に当時は「革命戦士」というプロレスラーに成り切り、演じ切っていたんだということを痛感しましたね。
個人的には、そこが、一流レスラーかどうかの境目だと思っています。

それでも時として、あらすじ通りに展開しないこともあり、そこがプロレスの面白い部分でもあります。有名な事例は、アントニオ猪木に纏わる試合に多いのですが、その最たる例を2つご紹介します。

一つ目は、インド人の悪役レスラーとして名を馳せたタイガージェットシンとの大阪府立体育館での試合で、何とアントニオ猪木はタイガージェットシンの腕を、公言通り本当に折ってしまった事件です。
この衝撃は凄かったですね。
その後ずっとこの事件は語り草のように言い伝えられてきています。この結果、ヒールレスラーとしてのタイガージェットシンの名前は確実にプロレスファンの知るところとなリました。

そしてもう一つは、両国国技館を大きく沸かせた大事件、そうです、あのハルクホーガンとのIWGPの初代王座を賭けた世紀の一戦で、何と場外で必殺アックスボンバーを喰らって失神してしまった大事件です。
運悪く猪木は鉄柱に後頭部を打ち、そのままリング下でダウン、結局ハルクホーガンがリングアウト勝ちを収めた試合でしたが、この時勝ったはずのまだ若きハルクホーガンの表情が私は忘れられませんねえ。
「一体何があったんだ」、あれは決して勝利の喜びの顔ではなかったですねえ。

でもこの結果、その後のハルクホーガンのレスラー人生は一変します
主戦地をアメリカに戻した彼はニューヨークマジソンスクエアガーデンでスターダムにのし上がり、その後ハリウッドデビューするまでの華やかなレスラー人生を歩むことになリます。
プロレス上の世紀の番狂わせが、一人のレスラー人生を大きく変えるというのも、実に不思議な現実ではあります。もしあの時あらすじ通り、猪木が勝利していたとしたら、ホーガンはその後米国では大成していなかったかもしれません。

私にとって、間違いなく、プロレスとは一つの娯楽気分転換の場所であリました。
見ている者をワクワクさせてくれる場所を提供してくれるプロレスラーこそ、真のアクターとしてのプロレスラーであり、私が惚れ込むことができるレスラーなのです。
最近ではめっきりプロレスを生で観戦する機会が減ってしまいました。
勿論テレビでも。
でもこうしてブログで、プロレスについて真剣に語ったことを契機にして、久し振りにプロレスが恋しくなり、また見たくなってきました。では、現代のアントニオ猪木を探し求める旅に出るとしますか!

Rユニコーンインターナショナル株式会社
代表取締役 髙見 広行

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