40年ぶりに訪れた保土ヶ谷球場での甘酸っぱい記憶<今昔物語>

先日、実に40年ぶりに懐かしの保土ヶ谷球場(現サーティーフォー保土ヶ谷球場)を訪れた。

同球場はスタンドを含めてリノベーションはされてはいたが、基本40年前と同じ野球場である。神奈川県の高校野球を語る上では非常に有名な球場で、かつてはこの球場での試合がテレビ神奈川で必ず中継されることになっていた。

さて、今回の訪問の目的は、母校の神奈川県立湘南高校の夏の県予選大会の試合を観戦(応援)することにあった。ただ、その相手が甲子園常連校の強豪校横浜高校とあって、俄然応援にも自ずと力が入るというものであった。

試合の方は、大善戦で、5回終了時点で0対1とホームランによる1失点のみ。結果的には、0対4で敗退となったが、最後まで格上の高校に対し、投手力・守備力で健闘した試合であった。ただ、相手の投手力のレベルは凄まじく、高校生では中々打ち崩すことが難しい印象であった。

負けはしたが、久々の母校の夏の県予選の応援に駆けつけることができて、本当に良かったと思っている。

そして、何よりもこの場所で、40年前の私達の代は、第3シード校としての初戦となる2回戦で、格下と思われた横浜商工(現在の横浜創学館)に0対7で敗れ、呆気なく高校野球生活に幕を閉じることになってしまった、自分の中ではあまり思い出したくない場所であった。

その試合に5番センターで先発出場した私は、度重なる序盤のチャンスに凡退を重ねて、3打席目で、夏の大会では初安打となる3塁打を右中間に放ったのが今ではいい思い出として残っている。そして、ランナーを置いての4打席目で、ヒット性の痛烈な当たりを放ったものの、セカンドライナーとなり、ランナーをホームに返すことが叶わなかった。完封負けだけはしたくなかった引退試合。しかも第3シード校として、最低でもベスト16は目指していただけに、心底無念な気持ちで一杯だった。

後輩の試合を観戦しながらも、どこか40年前の同じ場所で戦っていた自分自身の姿を追い求めていたのかもしれない、非常に不思議な気分だった。

そして思わず、その試合の録画ビデオを再び自分の目で見たいと思った。今度、DVDに編集し直して自宅でじっくりと見てみたいという気分になった。今ならきちんと見れるかもしれないと。あれから40年の時の流れが、自分の心の中の見えない傷を癒してくれたのかもしれない。自然にそう思い、納得して球場を後にした。

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