曽祖父道太郎との三島での遭遇 心で語り合った時間!











先日、久々に静岡県の三島を訪れる機会があり、そのエリアに住む知人と夜一献を傾けてまいりました。
三島駅は新幹線の停車駅でもあり、こだまを利用すれば都内からでも然程遠い場所ではありません。のぞみでの移動と違って、各駅停車のこだまでゆったりと移動できる印象で、所々の駅に必ず数分停車するのが特徴的なことでもあります。新幹線とは言えどこかのんびりとした旅を味わえそうです。
今や日本人のみならず外国人観光客でごった返す「熱海」とは違って、 三島はどこか静かでのんびりとした雰囲気の街であると思います。
さて、話は少し遡るのですが、前回三島を訪ねた理由は以下の通りです。
ある家系図コンサルの方に私の父系の先祖の系譜を見て頂いたことがあるのですが、その際に父系で判明している最上位の方が、このブログの表題にもなっている曽祖父の高見道太郎氏になるのです。
勿論、一度も私がこの世でお目にかかったことのない曽祖父ではありますが、私には彼の生き方に一つ大きな関心を寄せていることがあるのです。
それは、彼が三島に住んでいた明治時代の初期、何故彼が故郷を捨てて、横浜の港町である元町に移住してきたのか?ということです。丁度、その頃の日本は長らく続いた武士の時代(江戸時代)が終焉し、明治維新の下で開国が為され、港のある横浜港には多くの外国船籍が往来するようになっていたかと推測します。まさに、激動の時代の変わり目の時期ですね。
そんな時期に、曽祖父の道太郎が目を付けたビジネスというのが、船舶に使用される「硝子」だったのです。普通の家庭用の硝子とは違い、付加価値の見込める高価な硝子の取り扱いを行う卸商を始めようと一念発起して、態々横浜まで繰り出そうとしてきたその心意気と行動力には心底驚かされます。
立ち上げた会社名は「高見硝子」、本社所在地は今の横浜元町通りのJR石川町駅側の入り口近くにあり、港までも比較的至近距離の場所にあります。残念ながら今ではその会社は存在せず、私の叔父の時代をもって幕を下ろしました。
そして、親戚筋の方からの話によれば、その硝子事業は成功し、高収益を上げて、最盛期は元町通りの入り口付近一帯の広大な土地を高見硝子が所有していたと聞きます。三島から出てきた曽祖父のビジネスは当初の思惑通り見事に当たり、新天地で一定の成果を上げて、その後、私の父方は横浜元町を本拠に暮らしていくことになりました。
道太郎さんは、私の祖父が幼少の頃に亡くなってしまったこともあり、祖父からも道太郎さんのことはあまり詳しく話を聞いたことがありませんでした。
まさに明治維新の激動の時期を生きた一人の人間物語でありますが、今から6年前に会社を早期退職して個人起業した自分とどこかダブって見えて、とても親近感を覚える次第です。是非とも、曽祖父に聞いてみたいのは、当時未知の世界である硝子事業への転身を決意された経緯・動機、その際のリスク要因についてどのように分析されていたのか?事業開始から軌道に乗るまでの苦労話、その時に目指された将来のビジョン、ですかね。
その尊敬すべき曽祖父の道太郎の足跡を辿るべく、かつて彼が住んでいたと聞いている三島を訪れて、地元の図書館で何か手掛かりとなるような事実が資料に残っていないか、できうる限りのことを尽くして調べてみました。しかしながら、結局何も出てきませんでした。ただ一つ、三島に由来のある家ということで、高見家の家紋がある資料に掲載されていた事が唯一の発見事項でした。
さて、今回それ以来の訪問となったわけですが、訪問のきっかけは、最近私自身の仕事関係で、静岡県に本拠を構える会社様とのご縁を得て、今後定期的に静岡県を訪問するチャンスを得たことがあります。それに加えて、以前網代に住んでいた知人の方が、最近三島に引っ越してきていて、その方とはちょくちょくLINEを通して連絡を取り合う仲だったこともあり、今度一杯やりましょう、という約束をしていたことも重なり、今回三島で会食の機会が実現することになった次第です。
今回は、静岡県の美味しい地酒に地元でとれた新鮮な魚を取り揃えた家庭的な雰囲気の三島駅から徒歩圏内にある居酒屋「ひなよし」さんで一献を傾けてきました。日本酒で最初に飲んだ「開運」のにごり酒は酒米雄町を原料としていて極めて秀逸な味わいであったこと、そして新鮮で身厚の金目鯛の刺身が特に印象的であり、どれも全てつまみは美味しく大満足のひと時でした。
おそらく、曽祖父道太郎もきっとその時、私のそばに陣取り一緒に一献を傾けていたはず、そして、「よく来たな、広行」「まあせいぜい今のビジネス頑張れや」と語りかけてくれたように感じました。私にとっては、とても楽しく、充実した三島での時間でした。
最近では、墓参りの際に、曽祖父道太郎にも必ず語りかけるようにしており、何か少し彼と繋がったかのような気はしておりました。もしかすると、今回の静岡県でのビジネスのお話も、道太郎さんが導き寄せてくれたものだったのではないか?と勘繰りたくなるほど、出来すぎた話であり、私自身も本当に驚きを隠せません。
「ありがとう、道太郎ひいおじいちゃん!これからも天国から見守っていて下さいね。」そう心で呟きながら、三島を後にしました。
リスク管理コンサル 髙見 広行