バブル時代の不動産担保至上主義の落とし穴!
皆さん、少しご無沙汰しております。本日も「与信管理」をテーマにした投稿になります。
さて、私自身が前職の総合商社に入社した時期は、バブル崩壊が始まったと言われている年ですが、まだまだ世の中的な流れでは、イケイケドンドンの雰囲気が蔓延、非常に活気ある経済であったことを覚えています。
借金することの罪悪感をあまり感じなかった時代、欲しいものは借金してでも買え、というような雰囲気が流れていました。株価も給与も右肩上がりの時代だからこその考えであったのかもしれません。
そんな時代の与信管理の中で、今ではほとんど担保としての事例すらなくなりつつある、ある鉄板の担保が当時存在しておりました。それが、「不動産担保」なのです。
当時、「限度増額申請の嵐」と言っても過言ではない程、営業部の鼻息は荒く、取引量も日々増大、それに伴い、社内限度の増額申請が立て続けになされていました。
そんな中で、必ず審査部から指摘していたのが、相手先の企業規模との比較で見た「過大与信」という事象に対しての保全策として、当時バブル経済の中で価値が右肩上がりで上昇し続けていた取引先又は代表個人が保有する不動産物件を担保として取得することを条件としての、限度増額の決裁という流れでした。
担保と言えば、当時は「不動産担保」が主流、商社のみならず、メインバンクをはじめとするどの取引金融機関も、基本的にベタベタと不動産担保を設定しては、「担保価値あり」と認定して、与信を増枠していた時代でした。
但し、その後のバブル崩壊に伴い、株価と共に、不動産価格の急激な下落現象と相俟って、この不動産担保至上主義の考え方は、与信の世界で脆くも崩れ去っていくことになるのです。
ましてや、法人名義の事務所や工場・倉庫を担保に取得するのはまだしも、代表者の個人居宅まで担保に取得するケースも多々見られ、有事の際の担保実効性の効力については、当初より疑問視されておりました。
即ち、大手商社が、ある取引先の社長の居宅を担保権を行使することで、その代表者個人の生活基盤・根拠を奪い去るという暴挙に出た場合、社会的風評の悪化・非難を蒙るのは不可避の状態となり、結果的に実効性のない担保物件をただ机上評価の為だけに、取得していたことが露見することになったのです。例え、物的裏付け価値がその当時あったとしても、俄には担保実行ができない物件を担保として取得することは、無意味となるケースがあるということです。
勿論、その代表者の居宅担保の実行を回避する代わりに、例えば、他の代表個人名義の別荘物件や当時流行っていたゴルフ・リゾート会員権との差し替え要求の交渉材料には使えたかもしれませんが、資金繰り逼迫時の状況下では、既にそのような代替担保となる物件は取引先の方で先行処分し換金化されているのが実情であり、結果的には、居宅担保取得で現実に債権を回収することはできないということになります。
また、その後の幾つかの貸倒事例を顧みても、不動産担保の実行により、焦付きを見事に軽減・回避できた事案は、全く思い当たりません。
その後、多くの日本の金融機関(主に都市銀行)が合併・統合する流れとなり、また、当時は優良と見られていた長期信用銀行も実質破綻の道を歩み、バブル崩壊後の金融機関の多額の不良債権問題を引き金に、業界地図が大きく様変わりしていったことになります。その大元にあるのは、まさに、不動産担保至上主義の魔術・落とし穴にはまってしまったことがあると確信しています。
世の中の流れであったとは言え、商社も金融機関も与信管理の債権保全策という側面では、バブル崩壊は、大きな転換を余儀なくされた出来事でした。
因みに、以前ご紹介した事例の中で、二度同じ系列会社に引っ掛かった事例がありましたが、その二回目の焦付きの際に、まさに代表者個人名義の居宅物件に取引銀行の後の順位で担保権を設定、且つ担保価値ありとの社内評価をしておりましたが、結果的には実行することができずに、最終的には、この不動産担保は無意味となってしまいましたことを付け加えさせて頂きます。
今では、日本でも、欧州と同様に、債権者自身のコスト負担と判断により、保険会社が提供する信用保険付保が主流になってきておりますが、取引先との交渉ややり取りを経ずに、債権者単独で極秘に付保できるメリットはあるにしても、相応のコストが継続的に掛かることになり、これはこれで課題は大きい保全手段だと考えています。信用保険については、改めて別の機会でご説明させて頂きたいと思います。
次回も、また具体的な事例を紹介しながら、審査マンの方々に少しでも役立つような情報をお届けできればと考えています。どうぞ、宜しくお願い致します。
Rユニコーンインターナショナル株式会社 代表取締役 髙見 広行