天才作曲家のモーツァルトの持つ魅力について語る!

皆さん、こんにちは。 先日このブログでベートーヴェンについて熱く語らさせて頂きました。
今回は、ベートーヴェンと同時代に生きた偉大なオーストリアの天才作曲家のモーツァルトについて、個人的な印象、意見を語らせて頂きたいと思います。

現在、来年1月のサントリーホールで行われるピアノ発表会に娘と一緒に出場予定で、そこで披露する親子連弾曲の練習の真っ最中なんです。
本番に間に合うか微妙ですが、とにかく猛練習中です。

そしてその発表会で演奏する曲名が、モーツァルト作曲の有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(K. 525)のセレナーデです。
本曲は、モーツァルトの楽曲の中でも非常に有名な曲の一つで、1787年8月10日にウィーンで作曲が完了されたとの記録が残っています。クラシック音楽ファンでなくても、どこかで必ず耳にしたことのあるモーツァルト作曲の中でも代名詞的な存在の曲の一つです。

現在、モーツァルトが作曲した数々の名曲が残っていますが、特に彼の真骨頂を示す分野は、オペラ作品だと個人的に思っています。
中でも私は「フォガロの結婚」が大好きで、その序曲はあまりにも有名で、心が弾むテンポの曲であり、気分展開には最適な旋律だと思っています。
当時では、タブー視されてきた王室のいる宮殿内のスキャンダルを題材にしたところが、またモーツァルトたる所以だと思っています。

ところで、皆さん、モーツァルトの作品って、明るい曲だと思われますか?
ベートヴェンとモーツァルトを比較した場合、通常、前者が暗く、後者が明るい曲だと言われています。
確かにベートーヴェンの曲のベースには、重厚感としつこさがあり、明るい曲だと言うのは無理があるでしょう。でも、だからと言ってモーツァルトの曲は、本当に明るいでしょうか?

一度、よく聴いてみて下さい。
どこか根底には物悲しい、そして苦悩に満ちた、微妙に心が揺れている旋律を私は感じてしまいます。
そこがモーツァルトの魅力だと感じています。決して彼の人生は順風満帆ではなく、35歳の若さでこの世を去っています。
もし彼が70歳まで生きていたら、彼の残した作品数は今の3倍に達していたかもしれませんね。濃縮された人生、でも彼のエキスが全ての曲に注ぎ込まれている、そしてそれが現在でも音楽ファンを魅了しているわけですね。
気軽に聴けるクラシック音楽、肩肘張らずに耳に入ってくる自然で美しい旋律、それこそがベートーヴェンにはない、彼の魅力だと思っています。

今回のピアノ連弾曲の練習をしている中で、私のピアノの先生からも、所々モーツァルトの特性特徴を意識した演奏を指導されています。
なるほど、これがモーツァルトなんだ、と少し彼との距離が近付いたような、変な気持ちがしました。ピアノの練習を通して、大作曲家との無言の対面を果たすという、楽器の世界には、こういった魅力が潜んでいるんですね?
それにしても、モーツァルトとベートーヴェンの2人が同時代に生きていたという事実、その2人がウィーンですれ違い、遭遇していた事実だけを想像するだけで、とても夢のある世界ですよね?
私がモーツァルトの曲に感じてしまう暗さの部分は、私自身の感性と関係している部分であり、それが正しいか、間違っているかを問うものではありません。

彼が冷静に自分の人生をいつも見つめていたこと、彼が生きた時代を少し遠くから皮肉っぽく見ていたこと、そして何よりも凡人とは異なる、これから作曲する楽譜の譜面が既に彼の頭の中に出来上がっていたという天才肌であったこと、いずれもがそこに超人的な感覚があったことを考え合わせれば、彼の曲の旋律の根底に感じる、物悲しさは、聴く者に、何かを訴えかけたいという意図があったのではないかと、勘繰りたくなります。
親子によるピアノ連弾の実現の第二弾の話は、また別の機会に、ここのブログで正式にご案内しますが、モーツァルトの持つ個性、惹き付けられるものについて、今回、自分独自の考え方についてご紹介させて頂きました。

Rユニコーンインターナショナル株式会社
代表取締役 髙見 広行

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